2021年10月31日に起きた京王線無差別殺傷事件。
犯人の服部恭太は映画『バッドマン』の悪役・ジョーカーの服装で、男性をナイフで刺し車内に火をつけるなど殺人未遂で現行犯逮捕されました。
複数の被害者を出した犯人・服部恭太ですが、一体どのような生い立ちだったのでしょうか?
そこで今回は、服部恭太の生い立ちや高校時代のエピソードについてまとめてみました。
ジョーカー・服部恭太の生い立ちは?
名前:服部恭太(はっとり・きょうた)
生年月日:1996年〜1997年?
年齢:自称24歳(2021年10月31日時点)
自宅:福岡
職業:無職
家族構成:母・妹
京王線無差別殺傷事件のジョーカーに扮した犯人・服部恭太。
2023年10月の判決で懲役23年の実刑判決となっています。
一体、服部恭太はどんな生い立ちだったのか見ていきましょう。
母子家庭で育った
服部恭太は父親がおらず、母子家庭で育ちました。
地元・福岡市内の小中学校に通い、高校は福岡県内の高校に進学しています。
市内の団地で、母親・妹の家族と暮らしていましたが数年に団地は取り壊されたようです。
父親は服部恭太が小学生の頃に両親が離婚し家を出てしまい、それ以降はほとんど連絡をとっていなかったそう。
また服部恭太を知る人物への取材では、
- 目立たない子
- あいさつは欠かさず、人の荷物を持ってくれるなど優しい一面もあった
などと報じられていました。
地元では、目立たないものの優しい一面もある人物として周囲から知られていたようです。
小学生〜中学生時代からいじめを受けていた
服部恭太は小さい頃、クラスメートよりいじめを受けていたことを話していました。
小学生時代に、当時住んでいた家がゴキブリが出る古い家だったそうで、自分のランドセルの中から虫が出てきたことがありました。
このことがきっかけで、主に女子からいじめをうけることになったようです。
中学生ではいじめがさらにエスカレートし、
- シカト(無視)
- 物やゴミを投げられる
- 仲間外れにされる
などの行為をされていました。
そのため、服部恭太は学校へ行かず自殺を図ったことがありましたが、ロープで首をつった際にロープが外れたため命を断つことはできなかったそう。
その後、中学校へ復帰し2年の途中から陸上部へ入部。
3年のときには、大きな転機があり後輩の女性と付き合うことになりました。
このとき女性に対する恐怖心やトラウマを抱えていたようですが、自分のことを好きになってくれる人がいたことで救われたそうです。
この女性とは、長年交際して結婚間近のところで破局となっています。
服部恭太の元彼女の詳細はこちら↓
女性との破局も服部恭太の心に大きく影響を与え、希死念慮の思いが強くなり、事件を起こすことに繋がっていったようです。
ジョーカー・服部恭太の高校時代は陰キャだった?
京王線事件でジョーカー姿で注目された服部恭太。
高校では、空手部に入り3年のときには主将を務めたそうです。
服部恭太の高校時代の顔写真がこちら▼
報道で見るような金髪姿ではなく、大人しそうな雰囲気に見えますね。
高校卒業後は大学へ進学せずに介護職に就くものの、人間関係が上手く行かず半年で退職。
同僚がほとんど女性で年齢も大きく離れていたため、馴染めなかったそうです。
ときには自分のことを拒絶するような反応をされたため、ストレスで18歳のときに再度命を断つために家の屋上で首をつろうとしたことがあったとのこと。
しかし、失敗し意識を失って病院で目覚めたそうです。
介護職を辞めた後は短期アルバイトを転々とし、ネットカフェ(マンガ喫茶)で働いていました。
このマンガ喫茶時代の同僚いわく、
勤務態度はとにかく真面目
見た目も黒髪で真面目
地味であまり自分からは喋らない
プライベートな話は振れば普通に笑って答える
と服部恭太の印象を話していました。
幼少期のいじめから女性へトラウマがあり、普段は大人しめな性格だったようですね。
まとめ
今回は、ジョーカー服部恭太の生い立ちまとめ!高校時代は陰キャだった?というテーマでご紹介していきました!
服部恭太の生い立ちは母子家庭で、小学生時代に自分のランドセルから虫が出てきたことからクラスメートのいじめを受けていたことが分かりました。
主に女子からいじめを受けたことで女性へのトラウマを抱えていたようです。
ストレスから2度に渡り命を絶とうとしますが、どれも失敗に終わっていたようですね。
交際女性との破局や人間関係のトラブルから、命を絶とうとし死刑になるために事件を起こしたようです。